人とフィールドワークの話をしていて最近よく思い出すのが、新田次郎の書いた『武田信玄』という小説の一節である。そこにはこんな話が書かれている。戦国時代の小田原北条氏は独特の諜報システムをもっていたらしい。普通は諜報とか間者と聞くと、忍びの者を使っていかにもスパイ工作らしいことをしそうに思うが、北条氏が他国に配置した間者というのは、およそ間者らしくなかったのだそうだ。たとえば町に住んで商売をする。そういう、普通の庶民とまるで変わらない暮らしをずっと続ける。親から子へ、そして孫へと続けていくのである。これでは間者でも何でもないではないか、と言いたくなるが、彼らにはひとつだけ任務がある。日記を書いて本国に送る。ただそれだけの任務である。もちろん忍者の盗み聞きのようなトップシークレットを仕入れてくるわけではない。町の商人なら誰でも知っているたぐいの情報を日記に書いて送るのである。ただしこれを何十年も続けていると、日記の書きぶりの些細な変化を読むだけで、その国の動向が一目でわかるような、そういうすごみのある厚い情報になっていくらしい。
こういう話を聞いていると、我々のフィールドワークにそっくりである。日常の些細なメモが積もり積もって資料となっていく。時間をかけて築いた人間関係の厚みがそのまま記述の厚みになっていく。まるで同じである。そのことについ最近気づいた。それ以来、北条家の間者が私にとっての目標である。